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自分軸と他人軸

自分軸と他人軸

こんにちは!

ばむじーんです。

今回は、自分軸と他人軸について書こうと思います。

私の生い立ちから現在までの話をすると、自叙伝を書いた方がいいくらいになりますので書きません。

でも、ものすごくざっくりと言ってしまうと、私の人生には自分軸という言葉などありませんでした。

  • 親や祖父母に心配をかけたくない
  • 結婚したら夫に尽くし、嫁としてふさわしい行動をする
  • 子供がいるのに、自分のやりたいことなんて優先させられない

こんなことを思って生きてきました。実は夫もそうです。

今年になって生活が変わり、夫と私は「自分軸で物事を考えるのは自分勝手だ」という呪縛が解けました。

呪縛が解けた今は、「もう未来への希望しかないし、自分軸で物事を考えるというベースをもっと太いものにしなくてはいけない」という気持ちしかありません。

どうしてこんなことを思うのかを書くにあたり過去を振り返るしかないのですが、では、

「過去のどの時点でこのことに気付いていればよかったか」ということを考えると、誰も答えは出ないのではないでしょうか?

生まれ育った環境を後悔しても、

「未熟で無力な子供時代にどうにかなったのか?」と思います。

子供時代にどんな大人達と過ごしてきたかが、思考にも大きく影響が出ると思いますが、無力な子供が付き合う人間を選んだりすることはできないからです。

それぞれの人間が成長して、「このままじゃいけない」と思うタイミングが、自分軸で物事を考えるきっかけになるのではないでしょうか。

だから、もしかしたら私のブログを今読んでくださっているこのタイミングが、考え方を変えるきっかけになる方もいらっしゃるかもしれません。

呪縛が解けたきっかけ

義母の病気

私達の家は夫の両親の家のある敷地にあります。「敷地内同居」です。

敷地内同居は「夫の両親のフォローをするため」でした。

私達が結婚して間もなく、義母が精神疾患を患います。

これまでブログでどんな精神疾患かお伝えしませんでした。

なかなか文章でお伝えするには難しい症状だったからです。

それが最近、同じような症状を持つ人々やその家族に密着した内容が、数年前にニュースZEROで放送されていたことを知りました。

「統合失調症の現実 密着!家族たちの駆け込み寺」

というタイトルのYouTube動画を見つけたのです。

本当は番組の内容がそのままアップロードされているので良くないとは思いますが、私はこの動画を見て同じような家庭があったことに正直安堵しました。

統合失調症は若い人が患うケースが多いというイメージが多くて、ある程度高齢になってからの症状は、認知症と診断する医師も多くいると聞きます。

でも、「高齢でこの病気になるのは珍しいけど、認知症ではない」と診断して頂いた医師に出会うことができて、現在は服薬のみの治療ですごしています。

結婚した時期とほぼ同時なので、フォロー歴18年ぐらいです。

子育ても、夫婦関係もすべて義父母のことを優先させた

私は、義父母とは血縁関係は無いので、結婚したとはいえ他人として客観的に見る目があります。

明らかに様子がおかしい義母を、

「精神病なんかじゃない。ちょっと疲れているだけ」と言って、民間療法や健康器具を買い漁って何とかしようとしている義父や夫の姿をみて、バカみたいだと思いました。

まず、

「精神科に家族がいくはめになる=世間体があるからそんなことできない」

という考えがものすごく強い義父だったし、義母もはじめて病院に連れていく時は、私に暴言とか半端なかったです。

医師からは、今後症状が落ち着いたとしても長期で見守りが必要だとアドバイスを受けて、敷地内に家を建てることを決意しました。

転勤があるのに単身赴任になることを承知のうえで家を建てたのは、こんな理由からです。

普段は夫がいないのに、夫の両親のフォローをしつつ子育てをするのは本当に大変でした。

子供は、学校で聞いたお友達のおじいちゃんやおばあちゃんの話と、自分達のおじいちゃんおばあちゃんが違うことで疑問を持ったこともたくさんありました。

私も滅入ってしまい夫の顔が義父の顔に見えたりして、夫と同じ部屋で眠ることができなくなりました。

それでも、夫もさみしい思いをしながらも頑張って働いているから、どうにでも動ける私しかフォローすることができないと思って過ごしてきました。

「忘れた」「私は病気じゃない」

書ききれないほどのいろいろなことがあり、子供が2人とも家を出たあと、夫と私と義父母でこれからのことを話し合う時間を持った時のこと。

これまで夫と私が、義父母が望んだとおりにしてきたことと真逆なことを言ったりするので、

「前は、こう言ってたから私達はここに家を建てたんだけども」

と伝えると、義父は事情が変わったとか昔のことなんて覚えていないと言い始め、義母は、

「私はちょっと疲れていただけで、あんたたちが勝手に私を精神病扱いにした」

とも言ってきました。

どれだけ大変だったか義父なら分かってくれているだろうと思い、そんな発言をした義母のあとに、私達をかばってくれるのだと思いました。

それなのに、

「そうだね。お母さんはいろいろがんばったから、疲れていたんだね」

と、かばってもくれませんでした。

あんなこともこんなことも、義父母のことを考えて我慢したことはすべて記憶にないとのこと。

私は他人だから怒りしかない。でも夫は・・・

私は他人なので、こんな扱いを受けて怒りしかありません。

良い嫁として頑張らなきゃと思ってきた18年間は何だったのか。

「あんなトラブルも嫌な思いも、こっちで生活しなきゃ起こりえなかったことなのに」

とか、

「もっと子供達も違う形で育てられたのに。」

とか。憎悪感でいっぱいになりました。

他人の私がこう思うくらいです。

親に裏切られたような感覚になった夫は、後悔と多額のローンを背負いました。

あとは、私に申し訳ないと謝ってきました。

呪縛が解けて、他人軸で考えて一番得する人は誰なのかわかった

自分軸で物事を考えて、他人を利用している人が一番得

「本当に困っている人を助ける」

これは素晴らしいと思うし、こういう人は無くてはならない存在だと思います。

例えば、最近で言うと「お金配りビジネス」をされている方はご本人がやりたくてはじめたことですから、自分軸がしっかりしている中での活動だと思います。

そうではなくて例えば私達のような、理想の生活や本当はこうしたいけどという本心があるのに、誰かのために我慢をして過ごしてきたような他人軸な人間は、裏切りというか「ここまでやってきたのにどうして・・・」と思うようなことがおこると、とても大きな虚無感を覚え、立ち直るのに時間がかかります。

でも虚無感を抱えた人間の気持ちなんて、「時間や思考を捧げた相手」は全くもって考えていないんですよ。

それどころか、こちらは他人軸だけど相手は自分軸を持って行動しているから、相手だけがますます幸せになるのです。

「困っている。助けてほしい」とお願いした本人は、助けてほしいという自分を中心とした考えがあります。

「楽になりたい」というゴールがしっかりしているから、楽になるための過程として助けを求めているのです。

他人軸で考えている人達は、困っている身近な人を自分の生活を後回しにしてもなんとかしようとすることが多いと思います。

他人軸が太い幹で、自分軸はそこからはえる枝みたいな感じです。本来は、自分軸が太い幹で他人軸が枝であるべきなのに、無意識に逆になっているから無駄に虚無感を感じやすいのではないかと気づきました。

家の片付けで自分軸の補強リハビリ

これまで、子供が巣立ってから子供が置いていった不要品を処分しました。

夫が不要と判断した、コレクションしていたおもちゃなども売りました。

あとはほとんど片付ける場所なんてないと思っていました。

でも、他人軸と自分軸のカラクリに気が付いたら、一番不要品を抱え込んで過ごしているのは私自身だとも気が付いたのです。

  • 私が着られるサイズの子供が置いていった洋服
  • いつ来るかわからない来客用の備品
  • 出番が来ないブランド品のバッグ
  • 好みじゃない頂き物を仕方なく使っている

など。

これらは次のように考えを改めました。

  • 私が着られるサイズの子供が置いていった洋服

本当に自分が着てみたい洋服をネットで直感重視で見つけて、自分の好みを自分で理解する。

家中にある子供が置いていった洋服を含めた私の服を一か所に集めて、ネットで見た洋服のテイストと似ているようなものだけ残す。

着回しとか合理性は無視。今来たい洋服だけ残す。結果7割手離した。足りないと思う洋服は今のところないので過剰だったみたい。

  • いつ来るかわからない来客用の備品

「柄は気に入らないけど、新品だからお客様用に取っておこう」みたいなものが大量にあった。

自分が気に入らないのにとっておいたものは、迷わず手離す。

気に入っているけど、壊れたり汚れたりすることを恐れて、お客様用と理由をくっつけて取っておいたものは全て自分用に。

  • 出番が来ないブランド品のバッグ

ハイブランドではないけど、おしゃれして出かけたいときのためだけに存在していた。

洋服の仕分けができたことによりバッグに対する考え方も変わり、「普段用」としてきたバッグはすべて手離した。

ただしバッグの中身が以前と変わっていないので、これから仕分けをするところ。

  • 好みじゃない頂き物を仕方なく使っている

こんなの無いと思っていたが意外にあった。例えばハンカチ。

「自分でお金を出して買う物ではない」みたいな考え方があったので、待機していた未使用品も含めて気に入らない物は手離した。

結果、大きな紙袋7つ分くらい処分しました。

子供や夫にたくさん不要品を手離させておいて、自分が管理している物を一番片付けていなかったことに気が付いて、ちょっと恥ずかしくなりましたね。

でも、これも自分軸を中心に考えを変え始めた結果です。

おもしろいくらい物の見方が変わりました。

まだまだ手離すことができるものがたくさんあります。

「あります」というか、思考が変わることで「見つけてしまった」という感覚です。

これまで、フリマアプリとかでは買い手が付かなそうなものを集中してまとめて処分してきました。

これからは、ちょっと値段が付きそうなものを手離そうと思っていますので、分析しながら整理していきたいと思います。

未来の自分への期待は、自分軸で物事を考えられるようになってから

最近よく耳にする「丁寧な暮らし」という言葉。

他人軸で物事を考えている人間は、この丁寧な暮らしはできないと思っています。

理由は簡単。「自分の気持ちを一番に考えていないから」

「自分軸を中心にして物事を考える」とは、自己中心的にとか自分勝手に生きるという意味ではありません。

それに気が付いたのも、今回の義父母とのやりとりがあってからです。

このブログサイトのタイトルが「私は私」となっていますが、これまではこのサイトでブログを書いている時だけ、本当の自分の気持ちが書けていると思っていました。

現実の世界では、他人軸で考えすぎて自分のしたいことを抑えてきたので、ブログだけは一方的な文章になっていたとしても、書くのは私なので気持ちもブレずにいられるからです。

それが今回、現実でも自分軸を中心に過ごしていくことを決めたので、過去に書いた記事とはまた違う考えが生まれるのではないかなとわくわくしてきました。

やっと少しだけ、未来の自分を想像して楽しくなってきたところです。

まだまだ膿は出そうですがね。

 

それでは。このへんで。

以上 ばむじーんでした。