こんにちは。
ばむじーんです。
遅発性統合失調症の義母と向き合って、20年になります。
前回のブログはこちらからも読めます。

さて今回は、こんな状態の中ほぼ強制的に義母を旅行に連れていった話を書こうと思います。
もくじ
きっかけは軽く考えている義兄の提案
義兄が軽く考えて提案した
たまに都会から帰ってくる義兄の前だと、義母は「ちょっと疲れているだけだと思う。心配してくれてありがとう」と言って、ひたすら自分は平気だとアピールする。
義父や次男の夫の前や私の前ではわけのわからないことを言ったりしてきているのに。
だから義兄は「母ちゃんが疲れているだけだと言うならそうなんだろう」としか思わず、たまに帰ってきて、ドライブに連れていったくらいで母親の疲れが取れたと思っている感じ。
気楽なもんだ。
そんな義兄が、ほぼ全員の費用を負担するからみんなで旅行に行かないかと提案してきた。
その代わり、予約は私が担当。
義母はそんな話を聞いて大騒ぎ。
行きたくない行きたくないの一点張り。でも、義兄の提案だとわかると我慢して行くと言い始めた。
義兄と私の夫に対しての態度が違うのは理由がある。
義兄は初孫として誕生して、かつ家系の跡取りになるだろうということで、今は亡き義兄と夫の祖父と祖母がものすごくかわいがっていたようだ。
義母は同じ家の中に住みながら、子育てをさせてもらえなかったと感じるくらいだった。
その後に夫が生まれた。「本当は女の子が欲しかった」という思いの中次男として生まれたので、小さい頃は良く赤い服を着せられていた。夫は次男なので祖父母のかわいがりはあっさりしていた分、義母は手元で育てることができた。
そんな思いがあって、義兄にはよそよそしい態度を見せ夫には本音で話してくるみたい。
この頃の義母
この頃の義母はかなり妄想の世界に支配されていて、身なりを一切気にしなくなった。義父にお風呂に入ろうと声をかけられても拒否をすることが多くなり、顔も洗わず歯も磨かず。
もともと化粧をする人ではないので、鏡を見ることもあまり無い生活を送っていたが、さらに鏡を使わなくなり、髪の毛もぼさぼさで白髪で真っ白。
女性なのに初老男性のような顔つきになっていた。
食料品の買い出しにも簡単に行くことができなくなって、自分の中で行ける気持ちになった時は、いつこの家が攻撃されてもいいように食料だけは確保しなくちゃという思いで出かけるし、常に狙われていると感じているので、近所のスーパーでは誰とも目を合わせないように下を向いたまま、缶詰や乾パンなどを大量に買い込んだ。
私達にも外に出られなくなるかもしれないからと言って、乾パンをたくさん渡してくることもあった。
ある時は、刺身の盛り合わせまで容器のまま冷凍庫に入れっぱなしにしていて、夕飯に凍ったままの刺身を出してきたこともある。
また、みんなでいる時に情報番組でたまに映るライブカメラの映像が目に入ると、
「攻撃される!テレビを消して!」と叫んだり、
お盆で帰省した時は私達は狙われているから、地元の盆踊りにはいかないでくれと泣いてお願いされた。
こういう時はいつも義兄がいない。
出発→お昼ご飯を食堂でたべようとしたら・・・
一泊旅行の準備もできない
義兄が実家で義父母を車に乗せて私達の住むアパートへ向かい、そこからは夫が運転するワゴンに全員乗り込んで、宿泊先まで行くということにした。
まずは、義母の身なりをきちんとさせて車に乗せるまで一苦労した模様。一泊旅行の準備もまともにできないので、義父が声をかけながら義父が考える一泊旅行に必要な準備品をそろえた。
周りを見ずに飛び出す
ワゴンに乗り込んでからの義母は、ひたすらひたすらうつむいているだけ。
途中何度かパーキングで休憩を挟んだ。
そのたびにトイレに行くのはいいが、義母は下を向いたまま車のドアを開けたまま閉めずに飛び出してトイレへ直行するので、とても危なかった。
1回目の休憩でそんな危ない姿をみたので、2回目以降の休憩は私がフォローすることになった。
本来私は、よちよち歩きの長女の面倒を見なくてはいけないのに、女性が義母の他に私しかいないため、子供は男性陣にまかせて、義母が飛び出して車にはねられたりしないように腕を引っ張って誘導することを繰り返す。
トイレの出口で義母を待ち伏せしないと、手も洗わずにまた車めがけて下を向いて飛び出すので気が抜けない。休憩よりも走行中の方が楽だった。
義母いわく、下を向いて自分自身の存在を隠して歩いているのに、必ず見つかってしまいすれ違いざまに「お前は赤だ」と色を付けられてしまうらしい。
走行中はしまいに「もう消えてしまいたい」と言って泣き出してしまった。
食堂についたのに
宿へチェックインする前に少し遅めの昼食をとろうと、とある食堂に寄ったのだが義母は何が何でも車から出ないと頑なに拒否。
お腹が空いた義父は、「みんなでせっかく来たのにわがまま言ってるんじゃない!」とイラついて少し怒鳴ってしまった。
それでも泣いていきたくないと訴えるので、義母を車内で1人にさせるわけにはいかず、また長時間車の中で過ごした長女もさすがに飽きてきて気晴らしが必要だったので、義兄と義父が先にご飯を食べに行ったついでに義母用のお弁当を注文。
夫は娘と駐車場周りを散歩して、グズグズを解消。
私と義母は2人きりで車内に残った。そんな中、
「私はもう消えたい」と義母が言うので、
「消えたら楽になると思ってそう言ってる?消えて楽になるかどうかは、今生きている私にはわからないから答えられない。だからそう言われても困る」
と私は答えた。
「消えてしまいたい」と訴えた人へかける言葉としては、おそらくこの回答はNGなはず。
でもこれまでの義母の様子を見ていて、いつも受動的で自らの意思で新しい何かを始めようとする人ではないことが分かっていたので、「わからない」とか「答えられない」と言った方がいいと思った。
「消えたい」という意志に対して反対に「消えないで」と言ったところで変に反発して衝動的におかしなことをされたら困るなとも考えたから。
走行しているうちに、義父と義兄がご飯を食べ終えて、義母のお弁当を車に戻ってきた。
今度は私と夫と子供の3人で食事。
義母は車内で弁当を見た途端、ものすごい勢いでがっついて食べていたらしい。
「消えたい」と思う人間は食欲がなくなってやせこけたりすると聞いたことがあるが、義母は食欲はむしろ日に日に増している。
この出来事を受けて考えられる仮説
実はこのような経験は、この旅行が初めてではない。
夫との結婚前に、義父母と義兄の5人でディズニーランドへ行ったことがあった。
その時も、そんなに見た目はひどく見えないのになぜかずっと「足が痛い」と言っていて、朝一からホテルのチェックインもできない時間帯なのに「ホテルに早く行って休みたい」と訴えていたことを思い出した。
結局義兄と義母がホテルの部屋ですごすことになり、予約したレストランはキャンセルが利かなくなって、義父と夫と私の3人に対して5人分のコース料理がでてしまい、かなり料理を残してしまった。
(現在のポリネシアンテラス・レストランのディナーショー)
翌日もパーク内には入ったものの、早く帰りたいとばかり言われて楽しい思い出がない。
結婚前に義父母と旅行に行って義母の損な姿を見て「ものすごくわがままな人」としか感じなかったが、今振り返るとこれも遅発性統合失調症の出始めの言動だったのかなと思う。
宿に到着→夕飯
車から降りられない
宿の入り口目の前に駐車したが、ここでも降りたくないと義母は騒ぐ。
義父は短気なので、もじもじしている義母をきつく叱るようなことしか言わなくなってきて中身がない。
「いいから降りろ」と言っただけでは効果なし。
私は、
「今ここで降りなかったら、トイレどうするの?1人で車から降りてホテルの中に入ってこれる?お腹空いても今度はお弁当なんて無いよ。車も移動されるから知らない人がこの車に勝手に乗って運転するんだよ。それでも車の残るのね?」
「チェックインの手続きをして、部屋に案内されたらあとは今日は一切部屋の外に出なくていいから。みんな一緒だから、ちょっと頑張って」
と言ってみた。
すると、わかったと言ってようやく車から出る準備をしてくれた。でも相変わらず下を向いて飛び出すので、腕をつかんでロビー内へ。
入口で「いらっしゃいませ」と声をかけてた女性に、義母は「赤だ」と言われたと訴える。
この女性が荷物を運んでくれたり部屋案内をしてくれたのだが、たまたま義母に話しかけてしまい、義母はプイっと顔を背ける態度をとったので、代わりに受け答えをしたりしてフォローした。
部屋についたら
夫と私と子供は別部屋。義父母と義兄は同室となった。でも寝るとき以外はいっしょにすごすことになったので、私達は荷物を置いてすぐ義父母と義兄の部屋へ合流。
ここまでの道のりが大変すぎて、義兄は今回の旅行で義母の異常をまともに感じて疲れていた。
ほらみろって感じ。
みんな疲れてしまったのは自分のせいだなんて、義母は一切思わない。それどころか、部屋案内をした女性がいなくなった途端、人が変わったように喉が渇いたと言って、荒々しくお茶を自分で入れて飲み始めた。
「お湯が熱いからやけどするかもしれない」なんていう予測をすることもできなくて、片足を立てて冷酒を飲むようにグイっと飲んで、熱すぎて全部口から出して洋服も汚す始末。
お風呂はもちろん拒否。
大浴場はもちろんだけど、部屋のユニットバスでの入浴もかたくなに拒否。
汚れた服の替えがないので、せめてよぼれた部分だけ揉み洗いして乾くまでハンガーにかけ解いたらどうだという提案も拒否。
結局翌日自宅へ到着するまでそのままの状態で過ごした。
みんながドン引きした夕食時間
夕食が部屋に準備されて、おひつにたっぷり入ったご飯を嫁の私が全員分分けようと準備をしようかと思ったら、義母はおひつごとへらでご飯を食べ始めてしまった。
野生動物がやっと餌が食べられた時のように、周囲のことなど気にせずほおばり続ける。
「母ちゃん!何やってんだ!それはみんなで分けて食べるご飯だぞ!」
と義父が怒鳴ると
「え?あ、そっか。ごめんなさい」
と言って動作を止めた。
嫁と姑が同じ部屋で夕飯の準備をするとき、普通なら嫁が分けたご飯を姑がそれぞれの席に置くとか、またはその逆をとらないだろうか?
義母だって、夫の祖母が若く生きていたころは同じように食事の際の分担はあっただろうに。
でもそんなことは義母は考えることもなく、目の前のご飯にだけに意識がむいてしまった。
人間の動物的な本能のまま行動してしまった。
義母が口をつけてしまったおひつのご飯を、みんなで仕方なく分けて食べることにしたが、全員の席にご飯が渡り「いただきます」と声をそろえてから食べるということも理解できなくて、義母は1人フライングをして食べ始めた。
しかもほとんど嚙まずに飲み込むし、全部犬食い。
そんな姿を見ながら食べる食事はおいしいわけもなく、他愛もない話で笑いあうこともない。
さらに義母は、あまっているおひつのご飯をいきなり手づかみしておにぎりを作り始めた。
手にべたつく米粒を食べながら。
「狙われているから、外に出られないからご飯全部もらわないと」と言って、おひつのご飯全ておにぎりにしていた。
夕食後→翌日帰宅まで
夫と私はもうあきれてしまい、子供を理由にして夕食後すぐ部屋へ戻った。
翌日の朝食も部屋で食べたが、義父と義兄はかなりお疲れモード。
義母が一睡もせずに義父に話しかけたり、おにぎりをむさぼったりして過ごしたようだ。
義兄もうるさくて眠れず。
今回義母は朝食のおひつには手を出さなかった。それでもフライングをして食べてしまうことだけは直らなかった。
さらには、「早く帰ろう」と何度も何度も訴える。
義父はせっかく来たんだからとあちこち寄る提案をしてきたが、みんな疲れ切ってしまいどこにもよらず帰宅した。
振り返ってみて
何度も訴えますが、これらすべて義父母は忘れたという出来事です。
こんなにおかしいのに、まだ病院へは行きません。
続きはまた今度