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遅発性統合失調症

|ブログ|遅発性(高齢者)統合失調症【遅発パラフレニー】の家族をもって ⑥願掛けとマウント

こんにちは。

ばむじーんです。

遅発性統合失調症の義母と向き合って、20年になります。

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遅発パラフレニー⑤
|ブログ|遅発性(高齢者)統合失調症【遅発パラフレニー】の家族をもって ⑤旅行こんにちは。 ばむじーんです。 遅発性統合失調症の義母と向き合って、20年になります。 前回のブログはこちらからも読め...

週末のスケジュールに空きが出ると・・・

前回のブログに書いた旅行の後、言い出しっぺの義兄は全く旅行をした気分になれなかったと言って、あらためて義父母抜きの旅行を提案してくれた。

このことは義父母には内緒。

義母に仮に知られてしまったところで自分は行かないと拒否するだろうが、義父に知られたら俺らも連れていけと強引に話を進めるはず。

義父は常に自分中心でいたい人だし、何でもかんでも首を突っ込んであれこれ引き受けてしまう。

他人が絡むことを引き受ける前に、自分の妻の状態をきちんと受け入れて行動してほしいのに、逃げるように家の外での行事でスケジュールを埋めていく。

さらに、週末のスケジュールに空きが出れば義母と家におとなしくいることができないので、私達の住むアパートへアポなしでくることもある。

それを予測して、義兄との旅行の時は用事があって家を空けていないから、突然来ないようにとくぎを刺した。

当時住んでいたアパートは2階建て。私達は1階に住んでいたのだが、1階はベランダではなく縁側に近いような作りになっていたので囲いがなく、窓の鍵が開いていれば誰でも家に入れてしまう状態だった。

だから、義母と家で二人きりになりたくない義父は、予定がない時は気分転換に孫の家までドライブに行こうと言って早朝から車を出し、朝の7時前のまだ私達が寝ている時間に、アポなしで来て縁側のようなベランダから窓をコンコンと叩き続けて、中に入れろと騒ぐこともよくあった。

何度も玄関は真裏だと説明しても「まあいいから」と言って、行動を改めない。

また義母は、息子と孫がいる家までは、自分にだけしか聞こえない声と自分にしか見えないものからの攻撃に耐えなくてはいけないと必死に下を向いて車に乗ってくるので、アパートに到着したら急いで部屋に入って休みたいと思うだけ。

玄関に回るとか靴を持つとか揃えるとか全く頭にない。

義父は強引さと身勝手さが増し、さらにこちら側で先約があるからと言っても、

「母ちゃんがこんな状態なんだから、そんなの断れ」とか

「予定は夜に回せ」

などと言い、すでに夫と子供と出かけていても出かけ先にまで電話をかけてきて

「アパートの駐車場まで来たから戻るの待ってるから」

と言ってきたりもした。

その強引さのせいで、私の学生時代の同級生との約束も何度も断った。

願掛け再び。

こんな週末の状態は、私が2人目を妊娠中もお構いなしで続いた。

最初の妊娠時に、私のお腹に向かって「男の子が生まれますように」と手を合わせてきたことなど悪びれることもなく、2人目の時も家に来るたびに

「男の子だといいね」と何度も言い、今度は義父と夫のいる前で私のお腹に向かって

「今度こそ男の子が生まれますように」

と手を合わせてきた。

義父と夫は、初めてこの様子を見て驚き2人で義母を叱った。

「男だろうが女だろうが、丈夫に生まれてくれたらそれでいいだろう!なんてこと言うんだ!」

と2人に責められて、義母は平謝り。

さらに、

「近所の人達にも次は「男の子を産んでもらえるといいね。」と言われたから、次も女の子だと恥ずかしい」

まで言ってきた。

そういう世間からの目とか声には、ものすごく敏感に反応していた。

それにしてもひどすぎる。

義父も義父

とはいえ、義父も身重の息子の嫁を気遣うならさっさと精神科へ連れていけばいいし、毎週末アパートに連れてこないでほしい。

それなのにお茶出せ昼飯出せ、夕飯もついでに食べていくかなという流れがパターン化した。

義母は外食をかたくなに拒むので、アパートでみんなで食べるしかない。

しかも、勝手にアパートに来る途中にある野菜の直売場を数か所立ち寄って野菜を買って持って来て、

「これで何かうまいもの作ってくれ」

とまで言ってきた。

平日は、義母はこんな状態なので料理ができない。できないというか頭にない。

だから義父が魚を焼いたり、納豆や漬物を買ってきたりしていつも二人分のご飯を作っていた。

義父が仕事に行っている平日の昼間は、保温しっぱなしの炊飯器のご飯を食べていたようだ。

だから、

「こんな生活をしているから、週末は誰かの作ったご飯が食べたい」だの、私の作ったご飯はおいしいからだの全く響かないヨイショをして居座る。

私の入院。義父のマウント

こんな生活がずっと続いたある日、私は出産予定日の2カ月前に切迫早産と診断され急きょ入院になった。

風邪をこじらせて咳のし過ぎで腹圧がかかり、妊娠8か月なのに内診で胎児の頭が触れるほど下がってしまったからだ。

問題は上の子の面倒を入院中誰が見るか。

夫は比較的休みは取りやすい会社だが、連日はさすがにまずい。

夫の両親はこんな状態で、とても上の子を預けるわけにもいかないし預かってほしくない。

私の実母は交通事故の後遺症があり思うように動けない体ではあるが、入院することをはなしたら、良いリハビリ代わりにもなると言って快く上の子の面倒を引き受けてくれた。

休日に、実父が母を乗せて車で子供を迎えに来てくれた。

上の子は、赤ちゃん返りとか私から離れることを泣いていやがるとか一切なくて、ものすごい笑顔で私に手を振り車に乗っていった。

こうなると、さすがの義父も予定がない日は自宅に義母と2人でいるだろうと思ったら大間違いだった。

毎週末、義母を連れて私の実家へ押しかけていたのだ。

いつもアパートに来る時は寝ても覚めても着ている薄汚れたトレーナーに、ジャージで来る義母だが、世間の目が気になる義父はちゃんと着替えさせて連れていったらしい。

しかも、義父は義母が精神的におかしくなっていることを私の両親が知らないと思っているので、

「うちの母ちゃんは魚を裁くのがとてもうまくて、魚料理をよく家では作ってくれる」

だの、自分はいろいろな人に役を頼まれて忙しいだのと大きく見せていたらしい。

義母はその話を隣で聞いて、余計なことをしゃべらないでとひたすら義父に言っていた。

また、回数的に圧倒的に孫と顔を合わせているのは自分達だから、あなたたちの知らない孫を自分達はたくさん知っているという態度も取ってきたそう。

何か一つエピソードを話すたびに、孫に向かって「ね。そうなんだよねー」と話しかけて、仲良しをアピールしようとしていたよう。

私の両親は、現状を知っていたので見栄を張ってるとしか思わなかったようだが、服装を外出用に着替えていても、義母の様子を見て違和感を感じたらしい。

家に入って席に座るまではロボットのように義父から、靴を脱げ、そこに座れと指示を出されないと動けないとか、以前の旅行での食事のように、お茶どうぞと実母が出したらものすごい勢いで口に湯飲みを運び、熱いと言って吹き出すとか。

お茶菓子も犬みたいに食べていたそう。しかもほとんど噛まない。

「来週もまた来ます」

と勝手にこちらの予定の伺いもなく言われて、義父母が帰った後の茶の間は食べかすが床に落ちていてひどかったとのこと。

あとは私の方の親族は誰もやらないことがとても気になり、だらしなさを感じたとも言っていた。

それは、義母がスニーカーのかかとを踏んで履いていた姿のこと。

義父はきちんと履いているが、どこに行くのにも義母はスニーカーのかかとを踏んだまま歩く。

家に何足かあるスニーカーすべてのかかとがつぶれていた。

かかとがある靴はきちんと履くべきだと思うし、かかとが嫌ならサンダルを履いていた方が印象も良いと思う。

靴を玄関で履くとき、ちょっと踏んで履いてしまうことはあっても、あえてかかとをつぶして履くという思考が分からない。

「お義母さんはどうして靴のかかとを踏んで歩くの?サンダルじゃダメなの?」

と以前聞いた時は、

「面倒なのと、この方がかっこいいと思うから」

という答えが返ってきた。

だから、義母の中ではサンダルを履くという考えもなければ、かかとをあえてつぶしても良いシューズを選ぶということではなく、白いスニーカーをあえてかかとをつぶして履くことにこだわりがあるということになる。

今もそうだが、義母は、自分が生まれて物心ついた時からケンメリのスカイラインが流行った時代あたりの思い出が色濃く残っていて、その時の価値観をそのまま引きずっている感じ。

だから、今もジャージも足首の部分がタイトになるように折りあげたり、Tシャツの裾を2回くらい折って着たりする。

女性ではなく、男性がかっこいいと思い込んでしていた服装に何か強い思い入れがあるみたい。

(思い入れやこだわりが強い人も統合失調症になっている人の特徴だと何かで見た)

随分前に、SMAP×SMAPで中居さんがマー坊というキャラクターでコントをしていた時に着ていた衣装を思い浮かべてしまったが、マー坊はちゃんと白いスニーカーはかかとをつぶさずにはいていたはず。

いくら義母がかっこいいと思っていても、やがて二人の孫が大きくなっていろいろわかるようになったとき、かかとを踏んで歩くおばあちゃんの真似はしてほしくないので、いろいろ対応を考えなきゃいけないななどを考えながら、入院生活を送った。

 

 

今回はこのへんで。